はじめに: 郊外で教育と指導について考える
帰ってきたら宿題を先にパッとこなして、毎日のお手伝いもササッとやっちゃって、漫画やゲームやテレビはそれからゆっくり楽しめばいいんじゃない? そしたらわたしも何度も「早くやれば」「いつやるの」と確かめないし、つまりは双方の精神衛生のために、さ。そんなふうに思ったことはあるでしょうか。
あるいは。
なんであの後輩は、あの部下は、こんなに単純なことを何度も間違えるの? さっき言ったのにまた同じ間違いをしてる。ああもう、いったい、何度言えばわかるの? 提出されてチェックする書類の記入方法のエラーなど、ちょっとしたことが積み重なって苛立ちや軽蔑、落胆を覚えることがあるでしょうか。
教育や指導をする側になってみると、自分にとっては単純であったことが他者には理解されにくかったりするケースに出くわす場面があります。教育や指導をする立場で、教える相手を選べない状況、今日で終わりだと簡単には放り出せない局面は、日常生活のなかで大きな存在感を放つこともあります。
教えることそのものを職務とするわけではなくても、だからといって自分には上手に教えるなど絶対に無理だと決めつけることなく、日々の教えるプロセスを含んだ関係に、地道に前に進めていくことはできるのではないかな。いや、できるはず。
教えること、学ぶことを、郊外で考えています。どうぞよろしく。